愛国 2012 8 19

書名 新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮
著者(編者) 小倉 紀蔵  角川書店

 日本において、このような本が出版されるとは、
一種の驚きに近いものがあるかもしれません。
 この本の狙いは、新聞・テレビのようなワンパターン報道ではなく
(このような報道手法は、独裁国家の手法に近い)、
北朝鮮を多角的かつ複眼的に分析しようとする試みです。
 また、この本は、今年の春の大型連休(ゴールデンウィーク)に、
「文化・学術・市民交流を促進する日朝友好京都ネット」という団体が、
大々的な訪朝団を結成し、その訪問結果の報告も兼ねているかもしれません。
 参加者の多くは、学者だったそうですが、
研究者でない一般市民の方も参加したそうです。
 この本で印象に残ることは、こういうことです。
著者によると、日朝友好京都ネットの市民交流グループの参加者の中に、
自称「極右」の男性がいたそうです。
この男性の語る言葉が、もっとも核心をついていたかもしれません。
 この右翼男性が、平壌でのパーティの席上で、
北朝鮮側の人物と会話をしたそうですが、
その時、こんなことを言われたそうです。
「わが国に来てまで、日本の悪口を言う日本人は信用しない。
日本を愛する日本人を信用する」
 著者は、こう言います。
これは、大変重要な言葉である。
これまで北朝鮮に来た数多くの日本人たちの言動を踏まえて言ったものである。
数十年の間、左翼的な日本人たちが平壌に来ては、
「日本は、どうしようもない」、
「日本は、嫌いだ」、
「日本より共和国(北朝鮮)の方が、すばらしい」と、
言い続けてきたことへの率直な批判である。
 外国へ来て自国の悪口を言っているだけの人物と、
いつまで付き合っていても、何も動かないということを、
北朝鮮側も、よく知っているのであろう。
(以上、引用)
 日本の左翼の人たちは、
「愛国的」「国粋的」「軍事的」「独裁的」という言葉を最も嫌うでしょう。
 しかし、北朝鮮を最も象徴しているものは、
「愛国的」「国粋的」「軍事的」「独裁的」な状態でしょう。
 私から補足しておきますが、
今から数十年前、日本の文化人や言論人たちが、
北朝鮮を「地上の楽園」と喧伝していました。
 愛国心なければ、真の外交はできない。
これは、北朝鮮だけでなく、世界共通です。

高句麗 2012 4 14
 大昔、朝鮮半島北部には、
高句麗という国がありました。
(紀元前37年から668年)
 日本の埼玉県には、高麗神社があります。
この神社のサイトには、こうあります。
 716年武蔵野の大地に1799人の高麗人が入植し、
未開の原野の開拓にあたりました。
大和朝廷は、この地を高麗郡と称し、
高麗王若光を首長としたのです。
 668年に滅びた高句麗からは、
多くの人々が日本に渡り土着しました。
 高麗王若光の没後、
郡民は、その徳を偲び霊廟を建立、
高麗明神と称し崇めたのです。
(以上、引用)
 今の北朝鮮は、かつての高句麗の繁栄を、
とうてい連想できるような状態ではありません。
 北朝鮮は、「徳」による政治ではなく、
「恐怖」による政治でしょう。
高句麗の1300年後の姿が、今の北朝鮮とは、実に悲しい。
 歴史に「if」はありませんが、
北朝鮮の民族としての能力を考えれば、
日本のような経済大国に発展したことも、あり得たのです。
政治の失敗が、極めて大きいと思います。
 日本は、第二次世界大戦に敗れて、国土が焼け野原となりました。
しかし、数十年後には、世界第二位の経済大国になったのです。













































































































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